天文十五年(1546)仲秋の比。むさしのをみんとて。此とし月おもひたちぬる事なれば。人々あまたうちつれて。小鷹がりしてあそばむとて。みなみなかりの裝束して馬にうち乘。まづかまくらにまうでける。・・・
比は八月上旬。あさ霧ふかくわけ入て行に山あり。いは山といふ。此山のうしろは甲斐の山。北はちゝぶなど申はべる。それよりむさしのくに勝沼〔東京都青梅市勝沼〕と云所につきぬ。齋藤加賀守安元此所の領主なり。つねづねみちみちの事申かよはしければ。山海の珍物數をつくし饗應しける。此所に二日逗留して。それよりむさし野をかりゆくに。まことに行どもはてのあらばこそ。はぎすゝき女郎花の露にやどれるむしのこゑごゑ。あはれをもよほすばかりなり。
むさし野といつくをさして分いらん行も歸るも果しなけれは
いにしへの草のゆかりもなつかしければなり。これもむらさきの一もとゆへなるべし。
隔つなよ我世のなかの人なれはしるもしらぬも草の一もと
あくれば八月十三日。あさ霧いよいよふかくして。道もさだかにみえわかず。馬にまかせて行。長井の庄〔埼玉県大里郡妻沼町〕にもつきぬ。まことやわかむらさきの卷に。かゝるあさ霧をわけいらんとあるもこれなるべし。大澤の庄などを行に。やうやうすみ田川にもつきぬ。河づらをみれば。まことにしろき鳥のはしとあしとあかき鳥のむれゐて。魚をくふありさま。むかしをおもひいでて。
都鳥隅田かはらに船はあれとたゝその人は名のみありはら
むかひは安房上總まのあたりに見わたさる。・・・
〔この後、葛西の浄興寺に一泊し、八月中旬に小田原に帰る。〕
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